このところとても気になっている。美しいものが。
これまで、美しいものをつくろうと思ったことはないかと思う。ましてや美しいものの創造を希求し焦燥の念に駆られたことなどない。
理由は明確だ。僕にとって美しいものとは、とても整っていて、調和、均整、合理性などなど、そのようなものがともかくきちんと体裁よく整然と存在しているものであり、つまりはつまらないものの象徴として美しいものが在ったからだ。
美しいものを作ることにそれほどの意義を見出すことができなかった。僕にとって魅力的であり続けたものは、面白い事象を生み出すこと。ただそれだけだった。
しかしながら、あるとき、ふと気がついた。美しいものに含まれるものがずいぶんと増えていることに。ちっとも整っておらず、不調和で不均整、不合理に体裁悪く混然と存在しているものも、いつの間にやら美しいものに含まれていた。きちんとしたピアノの音、たどたどしいギターの音、静寂を促すマナー、静寂を打ち破る母を求める子供の声、シンメトリーで一望監視できる刑務所、違法増築の繰り返しが生み出すカオス。
膨れ上がった美しいもの。ある種の形を成す混沌。それは人。人の存在。そしてその源泉である命。
そう、僕にとって美しいものとは命そのものである。
僕は美しいものをつくりたいと思う。